プロフィール

kimho (Kimura Yutaka)

★写真経歴★

<鉄道写真から始まる>

初めて自分のカメラを持ったのは8才のとき。当時、祖父から譲り受けた「オリンパスペンEES」の被写体として選んだものは日本国有鉄道だった。(当時からなんとなく私鉄には興味がない。)このカメラはハーフサイズカメラなので36枚撮りフィルムで72カットを撮影できて、めったにフィルムを買えない子供にとっては優れものだった。その後、写真を仕事にしている叔父から、小型一眼レフぐらいの大きさのカメラ(どのメーカー製品だったか不明だが、マニュアルフォーカスでシャッター速度はバルブから1/500まであってセルフタイマーが付いていたがレンズは外れなかった。)をもらって、あいかわらず国鉄を撮っていた。高校時代に初めて購入したカメラは「Canon AE1 Program」 で、このころから被写体を鉄道以外にも求めるようになったものの、基本的には鉄道写真だった。まあ、当時は写真が趣味というよりは鉄道が趣味だったと言える。


<大学時代に訪れた転機>

大学では、唯一の写真部である『カメラクラブ』の門をたたいた。この写真サークルの先輩に恵まれれたおかげで、プロ写真家の写真を作品として目にする機会を得て、鉄道以外にも格好の良い被写体が沢山あることに気がつかされた。これは私にとっては非常に大きな衝撃的な体験であり、これ以降、ヘタの横好きであった鉄道写真は撮らなくなった。(鉄道写真は難しいのだ。)

ところで、なぜ鉄道サークルではなく、写真サークルに入ったのか。それは、高校の頃に読んだある漫画が非常に大きなきっかけとなっている。そう、それは『究極超人あ〜る』(ゆうきまさみ著)である。この漫画は、光画部という名の高校写真部のぐだぐだな非日常を描いたギャグ漫画だが、高校時代の私はその光画部の雰囲気にあこがれてしまったのだった。そして驚いた事に、妙な人々が集まっているという点において、その雰囲気は大学のカメラクラブにも共通していたのだった。

大学では最終的にはカメラクラブだけではなく、卒業アルバムの制作委員会にも所属して、様々な機材で、様々な対象を、様々な場所で、撮影する機会を得た。300ミリや500ミリの望遠レンズで体育会の大会撮影をしたり、6x6や6x7を使ってストロボスレーブでゼミの団体撮影するなどということは、この先の人生では2度とないことだと思われる。(8x10も置いてあったのだが、自分で使うことなく卒業してしまったのは残念。)

大学4年間で撮影した写真の本数は、私的な写真としては200本ほど。全てがモノクローム写真であり、全てのフィルム現像を自分で行った。卒業アルバム委員会のために撮ったポジフィルムを含めると、6〜700本くらいになるかもしれない。プリントは学内の暗室で作業したが全てモノクロであってカラープリントは経験しなかった。


<大学卒業後>

仕事は写真業とは別の定職を選んだ。趣味としての写真を続けたかったためだ。給与を撮影費に投入できるようになったため、旅行も兼ねて遠方に出かけることが多くなった。特に定期的な発表の場があるわけでも無いので、撮影して現像するという作業を味わいつつ、のんびりとしたものだった。しばらくは公共施設に設定されている暗室を借りてプリントしていた。商用ギャラリーに展示するという発表方式には、なんとなく気が乗らなかったので、撮影した写真はたまる一方で、年賀状の題材に使用するくらいだった。しだいに自分の好む写真の方向性が定まってきたのもこの時期である。
(当サイトに載せている写真の9割はこの時期の写真)

インターネットで作品公開するという発表方法が自分でも容易にできると分かったのが、1998年頃のこと。最初はHTMLのマニュアルを買ってきて自分でサイトのソースをいちから記述した。その後、見栄えを良くするために、市販のツールを購入して再作成。しかし、ページビューが伸びず、放置したまま数年が経過して2009年を迎えた。そして、Bindというツールを知り、再びサイトの構成を再構築することに決めて今日に至る。







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